気の向くままに
日頃の教育実践や,教師という仕事を通して感じてきたことをタイトル通り気の向くままに書いていくブログです。ですので,気が変わると,書いていることが180°変わるかもしれません。ですが,1歩ずつ確実に前進できていればいいかなぁと思う今日この頃です。読まれた方と何か共感できればいいなと思ってつづっています。
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実は,2年ほど前から,月2~5回同僚・元同僚とテニスサークルをしております。ソフトテニスです。
社会人に成り立ての時には,それまでテニスのラケットなんてほぼ持ったことなかったし(高校の体育で1度くらい?),打てばうつだけホームランでした。
で,今日はメンバーが集まらず,2人でテニスでした。
久しぶりに,レシーブの練習をすると,思ったよりねらったポイントに返すことができるようになっていました。(10回中3回ぐらい)
たいしたことないけど,かなりの進歩です。
前は,打ち返すのではなく,力加減をして跳ね返していましたから。
2005.10.25 テニス
楽しくなってきましたが,ソフトテニスができるのはこの地区ぐらいだと言うことなので,また今のうちにしっかり楽しんでおかなくてはと思います。
上達するように祈ってください!!
社会人に成り立ての時には,それまでテニスのラケットなんてほぼ持ったことなかったし(高校の体育で1度くらい?),打てばうつだけホームランでした。
で,今日はメンバーが集まらず,2人でテニスでした。
久しぶりに,レシーブの練習をすると,思ったよりねらったポイントに返すことができるようになっていました。(10回中3回ぐらい)
たいしたことないけど,かなりの進歩です。
前は,打ち返すのではなく,力加減をして跳ね返していましたから。
2005.10.25 テニス
楽しくなってきましたが,ソフトテニスができるのはこの地区ぐらいだと言うことなので,また今のうちにしっかり楽しんでおかなくてはと思います。
上達するように祈ってください!!
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昨日のことですが,
男の子Tくんが
T「ぼく,せんせいになりたい。ここのせんせいになる。」
と,言っていたので,
・・・・おっ,うれしいこといってくれるなぁ。
と,思い
K「じゃぁ,いっぱい勉強しないとね。」
と言ってやりました。
この子は,勉強は・・・・・できる方ではないと思うのですが,
そしたら,
T「べんきょうってパソコンのべんきょう?」
ぷぷぷ,私はこんな風にみられていたんだなぁ。
K「パソコンだけじゃなく,いろんなことができるようにならないとね。」
T[じゃぁ,お寿司屋さんになる!」
・・・・・はやっ!!その乗り換え!!
T「そして,おかあさんにはただにするんだ。」
・・・・・はやいわりには,すばらしい将来設計!!
K「お母さんだけ?先生にもタダにしてね!」
T「うん,おぼえていたらね」
・・・・・忘れる気満々なのか??
男の子Tくんが
T「ぼく,せんせいになりたい。ここのせんせいになる。」
と,言っていたので,
・・・・おっ,うれしいこといってくれるなぁ。
と,思い
K「じゃぁ,いっぱい勉強しないとね。」
と言ってやりました。
この子は,勉強は・・・・・できる方ではないと思うのですが,
そしたら,
T「べんきょうってパソコンのべんきょう?」
ぷぷぷ,私はこんな風にみられていたんだなぁ。
K「パソコンだけじゃなく,いろんなことができるようにならないとね。」
T[じゃぁ,お寿司屋さんになる!」
・・・・・はやっ!!その乗り換え!!
T「そして,おかあさんにはただにするんだ。」
・・・・・はやいわりには,すばらしい将来設計!!
K「お母さんだけ?先生にもタダにしてね!」
T「うん,おぼえていたらね」
・・・・・忘れる気満々なのか??
学校を3日あけることになりました。
このへんの理解が得られやすいのが,学校職場の良いところです。
学年主任なんて
「生まれるまで帰ってこなくてもいいからね。」
と言ってくれます。
うれしいやら,でもちょっとさみしいやら。
校長先生は
「よく担当の先生と話をして,きめなさい。学校は大丈夫だから。だれも いなかったら俺が補教に入るよ。」
と言ってくれます。
でも,子どもたちには,担任がいないと,大きな変化を伴ってきます。いい変化ならいいのですが,大概は,いいほうにはいっていませんね。さみしいことに。いいほうに転がっていれば,私という担任はいりませんね。そっちのほうがもっとさみしい・・・((+_+))
まぁ,無事に生まれてくれればいいんですが。
・・・とはいえ,予定日を10日過ぎてしまいました。さて,いつ初対面できるかなぁ。
このへんの理解が得られやすいのが,学校職場の良いところです。
学年主任なんて
「生まれるまで帰ってこなくてもいいからね。」
と言ってくれます。
うれしいやら,でもちょっとさみしいやら。
校長先生は
「よく担当の先生と話をして,きめなさい。学校は大丈夫だから。だれも いなかったら俺が補教に入るよ。」
と言ってくれます。
でも,子どもたちには,担任がいないと,大きな変化を伴ってきます。いい変化ならいいのですが,大概は,いいほうにはいっていませんね。さみしいことに。いいほうに転がっていれば,私という担任はいりませんね。そっちのほうがもっとさみしい・・・((+_+))
まぁ,無事に生まれてくれればいいんですが。
・・・とはいえ,予定日を10日過ぎてしまいました。さて,いつ初対面できるかなぁ。
今日は,どうも帰る前に,手遊びで話そっちのけの子(Rくん)がいました。
「Rくん,今先生が話をしているんだから,折り紙で遊んでいたらだめでしょ。」
といったら、
「ちがうよ,これはKくんのだよ。」
(・・・・だから?)
「Kくんのをどうしてあなたが持っているの?」
「ちがうよ,Sちゃんが折っていたんだよ。」
(・・・・だからなんなの?)
「じゃぁ,どうしてあなたがもっているの?」
「ちがうよ,おちていたんだよ。」
(・・・・なにがちがうんだい?)
「それをあなたが持って帰るのはおかしいでしょ?」
「・・・・・」
会話って難しいですね。このあとこの子がしかられたのはいうまでもありませんが・・・・。
「Rくん,今先生が話をしているんだから,折り紙で遊んでいたらだめでしょ。」
といったら、
「ちがうよ,これはKくんのだよ。」
(・・・・だから?)
「Kくんのをどうしてあなたが持っているの?」
「ちがうよ,Sちゃんが折っていたんだよ。」
(・・・・だからなんなの?)
「じゃぁ,どうしてあなたがもっているの?」
「ちがうよ,おちていたんだよ。」
(・・・・なにがちがうんだい?)
「それをあなたが持って帰るのはおかしいでしょ?」
「・・・・・」
会話って難しいですね。このあとこの子がしかられたのはいうまでもありませんが・・・・。
こんばんは。月曜日から仕事がたまって,疲れもたまってきているKOJIJIです。
さて,みなさん。次の言葉を見たらなんだと思いますか?
わりと頭のいい子どもだったんですけどね。
今日は,国語の時間にしりとりをしました。子どもたちが最初の言葉にあわせてノートに書いていったんですがね。
ふと,机間指導中に目についた言葉。
「・・・・シオリナ?
・・・・しおりな?
・・・・塩里奈?」
と,僕が疑問そうにしていたら,それを書いた子どもがヒントをくれました。
「・・・・おはなしとかの・・・・・」
みなさん,もうおわかりですね?
この子はシナリオのことをシオリナと勘違いしていたようでした。
ちなみに,googleで"シオリナ"を調べたところ,約105件ヒットしました。
さて,みなさん。次の言葉を見たらなんだと思いますか?
わりと頭のいい子どもだったんですけどね。
今日は,国語の時間にしりとりをしました。子どもたちが最初の言葉にあわせてノートに書いていったんですがね。
ふと,机間指導中に目についた言葉。
「・・・・シオリナ?
・・・・しおりな?
・・・・塩里奈?」
と,僕が疑問そうにしていたら,それを書いた子どもがヒントをくれました。
「・・・・おはなしとかの・・・・・」
みなさん,もうおわかりですね?
この子はシナリオのことをシオリナと勘違いしていたようでした。
ちなみに,googleで"シオリナ"を調べたところ,約105件ヒットしました。
今日は,職員研修で人権同和問題に関して,ハンセン病の研修でした。
実際に,ハンセン病を患い,収容されていた方で,熊本地裁でたたかっていらっしゃった方のお話を聞く機会でした。
で,感想。
わたしの中で,人権同和問題とハンセン病がこれまでに,いまいち結びついていなかったんですが,今日の話で,自分がはずかしいなぁと思いました。
わたしは,以前のような,人権同和問題なんて正直言ってほとんど残っていないと思っていたからです。
わたしがよく聞いていた話は,江戸からの身分制度とか,部落問題とか,そういった類のものでした。でも,ハンセン病の話は,今でも,人々の心の根にとどまる,深い人権問題だと感じました。
その方の話を聞いていると,まるで,ドイツのユダヤ人への迫害を思わせるような,そんな人権差別が日本でも起こっていたんだと憤りと悲しみがこみ上げてきました。
この方に聞いた話は,インターネット等で検索しても出てきません。調べて分かる内容というのは,氷山の一角だったんだなぁと感じることでした。やはり当事者が語る言葉の重みというのは違いますね。当事者のほとんどが高齢化してしまい,今を生きる人々の心から薄まってしまうことが,なんというか,残念です。それでも,今そんな偏見的な差別と戦っている人がいるということを肝に銘じてこれからの教育活動をしていきたいと思います。
実際に,ハンセン病を患い,収容されていた方で,熊本地裁でたたかっていらっしゃった方のお話を聞く機会でした。
で,感想。
わたしの中で,人権同和問題とハンセン病がこれまでに,いまいち結びついていなかったんですが,今日の話で,自分がはずかしいなぁと思いました。
わたしは,以前のような,人権同和問題なんて正直言ってほとんど残っていないと思っていたからです。
わたしがよく聞いていた話は,江戸からの身分制度とか,部落問題とか,そういった類のものでした。でも,ハンセン病の話は,今でも,人々の心の根にとどまる,深い人権問題だと感じました。
その方の話を聞いていると,まるで,ドイツのユダヤ人への迫害を思わせるような,そんな人権差別が日本でも起こっていたんだと憤りと悲しみがこみ上げてきました。
この方に聞いた話は,インターネット等で検索しても出てきません。調べて分かる内容というのは,氷山の一角だったんだなぁと感じることでした。やはり当事者が語る言葉の重みというのは違いますね。当事者のほとんどが高齢化してしまい,今を生きる人々の心から薄まってしまうことが,なんというか,残念です。それでも,今そんな偏見的な差別と戦っている人がいるということを肝に銘じてこれからの教育活動をしていきたいと思います。