気の向くままに
日頃の教育実践や,教師という仕事を通して感じてきたことをタイトル通り気の向くままに書いていくブログです。ですので,気が変わると,書いていることが180°変わるかもしれません。ですが,1歩ずつ確実に前進できていればいいかなぁと思う今日この頃です。読まれた方と何か共感できればいいなと思ってつづっています。
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教育論文に思う
From HIDE(教員OB)
教育論文をまとめられることはとても大切です。
入選されることを祈念します。(将来もし、教育論文を審査する立場になったとき自分が入選していなかったら何のかんばせあろうか)
しかし、頭の片隅においておきたいことは、教育論文の多くは、先生の作文であり、子どもの目線からすれば、何の役にもたたない場合が往々にしてあるということです。
ノーベル賞とは言いませんが、医学の研究論文と比較して、教育の論文はなんと空々しいことでしょう。その論文が、後進の研究に引き継がれていくことはまずありません。ひどい場合には、本人ですら出してしまえばそれでよしとなってしまうことがあります。
せっかくの意気込みに水を差してごめんなさい。
子どもの目線(建前でなく本音)での教育論文をお願いします。妄言多謝。
教育論文をまとめられることはとても大切です。
入選されることを祈念します。(将来もし、教育論文を審査する立場になったとき自分が入選していなかったら何のかんばせあろうか)
しかし、頭の片隅においておきたいことは、教育論文の多くは、先生の作文であり、子どもの目線からすれば、何の役にもたたない場合が往々にしてあるということです。
ノーベル賞とは言いませんが、医学の研究論文と比較して、教育の論文はなんと空々しいことでしょう。その論文が、後進の研究に引き継がれていくことはまずありません。ひどい場合には、本人ですら出してしまえばそれでよしとなってしまうことがあります。
せっかくの意気込みに水を差してごめんなさい。
子どもの目線(建前でなく本音)での教育論文をお願いします。妄言多謝。